第123回高官国際セミナー
平成15年(2003年)1月14日から同年2月14日
1 研修の主要課題
第123回国際研修は,「犯罪被害者の保護及び修復的司法アプローチを含む被害者の刑事司法過程への積極的参加」を主要課題として,行われました。
犯罪被害者は,近代刑事司法制度の確立以降,最近に至るまで,刑事司法手続において従たる地位を占め続けてきました。しかし,1940年代に「被害者学」が誕生して以降,被害者の置かれた状況についての研究が進むにつれて,刑事司法制度における被害者の保護には重大な問題があることが明らかとなりました。すなわち,被害者は,犯罪によって最も直接的な影響を受けた者でありながら,一部の例外を除いて被害者の権利及び利益の保護並びにその法的地位の強化に,刑事司法制度上,特別の配慮がなされることが少なかったということです。その結果,現行刑事司法制度は被害者に対する公正に欠けているとの共通認識が形成され,1960年代以降,欧米諸国を中心に,被害者に対する施策は,大別して,次の3段階の発展が見られました。
第1段階は,被害者に対する「経済的援助」の充実の為の制度創設です(1960年代)。そこでは,ニュージーランドにおける法律制定を嚆矢として,欧米を中心に犯罪被害者補償法の制定が行われ,国家による被害者の経済的支援の基礎が形成されました。
第2段階は,被害者に対する緊急時の各種サービスを内容とする「直接的援助」の充実です(1970年代)。この時期以降,民間では連合王国のヴィクティム・サポート(VS)やアメリカ合衆国の全米被害者援助機構(NOVA)に代表されるような,官民の被害者援助組織による直接的被害者支援活動が盛んとなりました。またこの間,被害者の置かれた状況に関する種々の実態調査が進められ,その結果,刑事司法手続における被害者の法的地位の向上と被害者の権利の確立が,刑事司法制度の効果的な運営のために重要であるとの考え方が広く支持されるようになりました。
これを受けた第3段階は,刑事司法手続における被害者の法的地位の向上のための法律等の制度の整備です。そこでは,被害者に対し,刑事司法において,公正で,かつ,被害者の尊厳とプライバシーを尊重した取扱いを受ける権利,手続その他に関する情報提供を受ける権利,公判手続に在廷する権利,加害者からの威迫・報復等からの保護を受ける権利,被った損害に対する弁償等を受ける権利等が,多様な法律を通じて,欧米,アジアの一部などで具体化されました。
日本においては,被害者に対する経済的支援について,1980年に法律が制定され,被害者の法的地位の向上に関しては,2000年に法律改正及び法律制定が行われて,性犯罪の告訴期間の撤廃,公判手続における被害者等による心情その他の意見の陳述,証人尋問や傍聴における被害者への配慮,民事上の合意を刑事事件の公判調書に記載し,その調書に執行力を付与するなどの制度が具体化されました。また,警察,検察庁による被害者への事件に関する情報提供制度も整備されつつあります。
このような潮流の中,国際連合では,第7回犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する国際連合会議(1985年)において,「犯罪及び権限濫用の被害者に関する司法の基本原則宣言」が採択されました。この宣言の中で,国家及び国民は,同情と尊敬の念をもって被害者に接することを求めています。具体的には,速やかな被害回復を求める権利,被害者が刑事司法手続の経過を知り,刑事司法手続に参加できる権利,被害者が各種の援助を受けられるようにすることなどを求めています。
他方,被害者運動の高揚が見られ始めた時期と前後して,現行刑事司法制度の抱える種々の課題について新しい角度から対応すべく,被害者,犯罪者,地域社会が主体的に参加して,犯罪によって生じた損失・影響に対する解決策を考えようとの動きが始まりました。すなわち,修復的司法アプローチの登場です。修復的司法は,@犯罪に対する被害者中心の対応であって,A犯罪によって最も直接的に影響を受けた被害者,犯罪者,それらの者の家族,地域社会の代表が,B犯罪によって引き起こされた損失・影響への対応に,直接的に関与できる機会を提供するものです。それは,犯罪者が,被害者及び地域社会に対し,三者の対話プロセスを通じて,犯罪者の行為によって生じた侵害に対して直接責任を負い,かつそれを履行することによって,@被害者の感情的又は物質的な損失を,可能な範囲で回復し,A犯罪者に適性(competency)開発の機会を付与し,かつ,実りのある地域での生活に,再度受け入れられる機会を与え,B地域社会を(再)構築することにより社会の安全を強化することを目的としています。
なお,修復的司法に関しては,現在多様な見解が示されている状況にあるので,本研修においては,ここで紹介した修復的司法の意義を参考にしつつ,研修における検討の対象としての修復的司法は,やや広義に考えることとします。
修復的司法の考え方は,近代刑事司法制度成立以前から存在しましたが,1974年に,カナダで,被害者・加害者和解プログラムが実験的に開始されたことによって再燃したとされています。現在では,アメリカ合衆国,ヨーロッパ,北欧諸国,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカにおいて1,000を超える被害者・加害者和解プログラム(VORP)などのプログラムが運営されているほか,アジアの一部の国において導入準備を進めている例があります。また,法制度として修復的司法アプローチを定着させる例も増えつつあります。ニュージーランドの1989年少年及び家族法による少年犯罪者に対する家族集団談義(Family Group Conferencing, [FGC])の導入(1995年から対象を成人に拡大)に続き,連合王国でも,1999年少年司法及び刑事証拠法において,少年に対する委託命令(referral order)を導入して,FGCと同様の考え方に基づく制度の導入に踏み切りました。そこでは,少年犯罪者委員会が,FGCと同様の機能を果たすものとして導入されました。
これらの状況の下,2000年4月にウィーンで開催された,第10回犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国際連合会議で採択された「犯罪と司法に関するウィーン宣言」においては,「犯罪被害者を支援する行動計画,すなわち調停及び修復的司法のための仕組みのようなものを導入することを決議し,被害者,犯罪者,地域社会及びその他すべての関係者の権利,必要性,利益を尊重する,修復的司法に基づく政策,手続そしてプログラムを開発することを奨励する。」としています。これを受けて,国連犯罪防止及び刑事司法委員会のワーキンググループによって,国際連合としての修復的司法に関する基準である「刑事関係における修復的司法プログラムの使用についての基本原則」の策定作業が現在進められています。
しかし,アジア,アフリカ,中南米地域の大多数の諸国においては,被害者保護及び被害者の刑事司法過程への積極的参加のための制度がまだ十分でない場合が多く見られ,これらの施策の充実と併せて,修復的司法アプローチという新しい潮流への対応が求められている状況にあります。
これらの状況を踏まえて,本セミナーにおいては,犯罪被害者の保護及び修復的司法アプローチを含む被害者の刑事司法過程への積極的参加を促進する上で採り得る効果的な方法の現状,可能性及び課題について検討しました。
本研修における議論の焦点は,次のとおりです。
(1)犯罪被害者保護及び被害者の刑事司法過程への積極的参加に関する制度の現状と課題
本項においては,犯罪被害者保護に関わる制度やサービス,被害者の刑事司法過程への積極的参加に関する制度等の参加国の状況とその課題に関し,次のような事項を含めて検討しました。
- ア 犯罪被害者保護制度等の現状と課題
- @裁判によらない迅速な被害者救済制度(調停[mediation],和解[reconciliation],仲裁[arbitration]など)
- A犯罪被害者補償制度
- B被害者・証人の犯罪者からの保護(保釈条件の厳格化,待合室の分離,証人保護プログラム,被害者と犯罪者との接触禁止)
- C被害者・証人保護のための証言方法(被害者・証人の氏名等情報秘匿,ビデオリンク,ビデオテープによる証言,被害者の代理人制度,証言の際の付添人)
- D被害者に対する直接的援助等の各種の支援サービス
- イ 犯罪被害者の刑事司法過程への積極的参加に関する制度の現状と課題
- @被害者の告訴権,
- A私人訴追
- B犯罪者の不訴追,不処罰に対する被害者側の不服申立制度(方法)
- C犯罪者の釈放(保釈,一時帰休,仮釈放,満期釈放など)に際しての被害者の意見聴取
- D被害影響陳述(victim impact statement)及び被害影響証拠(victim impact evidence)
- E刑事手続における損害回復(損害賠償命令,被害弁償命令,象徴的賠償としての社会奉仕命令,プロベーションの遵守事項としての被害弁償命令,刑事和解,附帯私訴)
- ウ 犯罪被害者等に対する情報提供制度の現状と課題
- @刑事司法の各段階における被害者に対する情報提供(捜査の進行状況,逮捕,起訴,裁判日程,身柄の状況,事実認定の結果,判決,犯罪者の逃走・一時帰休・釈放・死亡等)
- A被害者に対する公判傍聴の機会の付与
- B地域住民に対する犯罪者に関する情報提供(性犯罪者に関する釈放及び居住地に関する情報提供など)
(2)修復的司法アプローチの現状,活用可能性と課題
本項においては,修復的司法アプローチの現状,活用可能性と課題について,(a) 既に修復的司法アプローチを採用している国にあっては,現状,そのより一層の活用可能性と課題について,(b) 現在修復的司法アプローチを採用していない国又は採用を検討中の国にあっては,修復的司法アプローチの活用可能性と課題について,参加国の状況を踏まえつつ,次のような事項を含めて検討しました。
- ア 修復的司法総論−修復的司法の理論的基礎と課題,刑事司法制度との関係
- @修復的司法の意義
- A修復的司法アプローチの活用可能性と限界−修復的司法過程における関係者の権利・利益の保護
- (a) 修復的司法における公平な解決の担保
- (b) 犯罪者に対する手続的保障
- イ 修復的司法各論−修復的司法アプローチに基づく実務運用の現状,活用可能性とその課題
- @犯罪によって引き起こされた損失・影響の迅速かつ効果的な回復方法−被害者・加害者和解プログラム,被害者・加害者調停,被害者・加害者対話プログラム,家族集団談義などの手続における被害者及び地域社会の積極的参加
- Aダイヴァージョンとしての修復的司法アプローチが最も効果的に機能するための条件(年齢,罪種,犯罪歴等効果的な運用に影響する要素の検討)
- B当事者間で形成された修復的な合意(restorative outcome)の刑事裁判との関係
- C被害者・加害者和解プログラム等,刑事関係における修復的司法プログラムに基づく合意の履行の確保
2 客員専門家による講義の概要(講義日程順・肩書きは講義当時のもの)
- (1)ケイ・プラニス氏( Ms. Kay Pranis )
アメリカ合衆国 ミネソタ州矯正局修復的司法企画官
*講義テーマ
「ミネソタ州及びアメリカにおける修復的司法〜実務への導入と現実の実務の状況」
「ミネソタ州及びアメリカにおける修復的司法〜修復的司法の実践とその効果」 - (2)ピーター・ダン氏( Mr. Peter Dunn )
連合王国 ヴィクティム・サポート全国事務所首席調査・開発担当官
*講義テーマ
「イギリスにおける「ヴィクティム・サポート」の歴史と現在の活動」
「イギリスにおける「ヴィクティム・サポート」が行っている被害者支援活動の詳細」 - (3)ジィルヴィア・フライ氏( Ms. Sylvia Frey )
ドイツ ドイツ連邦共和国連邦司法省司法制度局刑事裁判手続課参事官
*講義テーマ
「刑事司法手続における被害者の保護〜刑事司法手続における被害者の権利」
「刑事司法手続における被害者の保護〜損害の回復」
「ドイツにおける被害者の権利〜刑事司法手続における情報提供を受ける権利,手続に参加する権利,損害の回復及び支援の実務」 - (4)ジョン・ブレースウェイト氏( Prof. John Braithwaite )
オーストラリア オーストラリア国立大学社会科学研究学部教授/調整機関ネットワーク委員長
*講義テーマ
「修復的司法の誕生」
「修復的司法を巡る理論と諸問題」
「修復的司法〜未来の司法」 - (5)キティポン・キタヤラク氏( Dr. Kittipong Kittayarak )
タイ 司法省保護局長
*講義テーマ
「修復的司法〜タイの経験」
「タイにおける犯罪被害者保護の現状」
3 特別講師(講義日程順・肩書きは当時のもの)
- (1)椎橋隆幸氏( 中央大学法学部教授 )
*講義テーマ
「犯罪被害者保護・支援の歴史,現状及び課題」 - (2)山上 皓氏( 東京医科歯科大学難治疾患研究所教授 )
*講義テーマ
「日本における被害者支援の歴史・現状及び課題」 - (3)太刀川浩一氏( 警察庁長官官房給与厚生課犯罪被害者対策室課長補佐 )
*講義テーマ
「警察における犯罪被害者対策の取組について」 - (4)山田由紀子氏( 県民合同法律事務所弁護士 )
*講義テーマ
「修復的司法の実践−被害者加害者対話の会に関する千葉での試みの現状と課題」